コンバンハ、猫2匹と寝る黒川です。下の写真は名前を呼んでも顔を向けずに耳だけしかこちらに向けない反抗期の我が娘です。
今日(5日)のネットニュースで「トマトのゲノム(全遺伝子情報)が6割方解明された」という記事が出ていました。生産性や耐病性に優れたり、乾燥などの環境負荷に強かったり、有効成分を多く含む品種の開発に役立つそうです。素晴らしい事です、人間の好奇心と探究心による科学の進歩は偉大です。
でも「ゲノム」とか「遺伝子」なんて言葉を聞くと、肝っ玉が小さい私は欧米のこんな諺を思い出します。
Curiosity killed the cat 「好奇心は猫をも殺した」
意味:九生(注1)あるとされる猫でさえ、好奇心のために死ぬ=好奇心も程々にしないと酷い目に遭う。
※注1:九生・・・A cat has nine lives 「猫には命が九つある」これも欧米の諺で猫は執念深く、かつ長生きする物とされるため。
品種改良なんて物は、そりゃーもう大変な昔からありました。より人間にとって都合が良い物を得るために「Aの雄シベをBの雌シベに付ける」的な事をチマチマとやっても、結果は神のみぞ知るだから、その変化のスピードはゆっくりとしたものだったと思うんです。
でもね、ゲノム解読できたら、付録の解答を見ながら算数ドリルやるみたいにスラスラと品種改良が出来ちゃうでしょ。
人間の体はその急激な変化のスピードに付いていけるのかな?
より良い物を得るためには大切な物を失っていくのでは?
なんてね、思っちまうんです。よく神の領域なんて言うでしょ、私は無神論者だけど好奇心や探究心で行ったらいけない所に踏み入れて様な気がするんです。
無駄に心配のしすぎですかね。そういえば、欧米にはこんな諺もありましたね。
Care killed the cat 「猫は心配のために死んだ」
意味:九生あるとされる猫でさえ、心配のために死ぬ=心配は身の毒だから、気にするな。
私の心配は杞憂に終わればいいんですが。それにしても今あるトマトでも十分に美味しいし健康に良いでしょ。言ったら何だけどこれ以上の物を求めて、多大な費用をかけて研究する必要あるのかな。
では、また会う日までサヨウナラ。
体に気をつけて頑張ってください。
またパフェでも食べましょう。そう皆でガツガツと。